「円生」は三遊亭の一番大きな名前。六代目(1900〜1979年)は持ちネタ数の多さ、完成度の高さを誇り、八代目桂文楽(1892〜1971年)、五代目古今亭志ん生(1890〜1973年)と並び称される。
円生の死後、名跡は夫人の意向などで誰にも継がせない「止め名」とされていた。ところが、円生の筆頭弟子で、昨年10月に亡くなった五代目三遊亭円楽さんらの指名で、円楽さんの筆頭弟子、鳳楽さん(63)が七代目襲名に昨年秋、名乗りを上げた。
これに異議を唱えたのが先代円楽さんの弟弟子の三遊亭円丈さん(65)。「直弟子が継ぐのが筋」などと反発。今年3月には東京・浅草で2人による「円生争奪杯」と銘打った落語会をしゃれで開催。それぞれが円生のおはこで勝負して話題を呼んだ。
さらに5月に入って、円丈さんの兄弟子で、先代円楽さんの弟弟子、三遊亭円窓さん(69)が、5月17日の落語協会(鈴々舎馬風会長)の理事会で、「遺族から襲名を促された」と意欲を見せた。協会側は「一門と遺族で解決してほしい」と静観の構えだ。
事態が複雑なのは、円生一門のこれまでの事情も背景にある。
六代目円生は78年、真打ち大量昇進を打ち出した落語協会に反発し、弟子とともに脱会。落語三遊協会を創設したが、その結果、寄席に出られなくなった。ところが翌79年に円生が急逝すると、円楽一門を除く弟子は落語協会に復帰。そのため同じ円生一門でも、円窓さん、円丈さんは協会復帰組、鳳楽さんは円楽一門と所属が分かれている。
さらに、世襲が一般的な歌舞伎とは異なり、落語界には襲名の明確な規則はないという。一般的に故人の場合は、遺族の意見が重要視され、襲名話は遺族と所属協会、寄席の席亭(責任者)らがそろって推薦することで具体化する。
東西落語界を見ても、大名跡の襲名ケースはさまざまだ。当代の円楽さんのように師匠が生前に指名したり、林家三平さんや桂春蝶さんのように二世の場合は、すんなりと決まりやすい。
一方、上方落語界の大名跡「笑福亭松鶴」のように、六代目松鶴(1918〜1986年)の死後、筆頭弟子の仁鶴さんの襲名辞退などで「凍結」されている例もある。
迷走する今回の襲名問題。鳳楽さん側は「周りががたがたやっているだけ。しゃべることはありません」。一方、円丈さんは「円生がどう考えるかという視点が抜けている。フェアな形で選ばれなければ」と現状に疑問を呈する。
関係者によると、事実上は鳳楽さんと円窓さんの2人の争いとの見方が大勢。演芸コラムニストの渡辺寧久さんは「名前は落語界の共通の財産。家の名前のように止め名にしたことからボタンの掛け違いが起きた。誰が襲名してもしこりが残るのでは」と憂慮する。
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